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いかに死ぬべきかを学べば、いかに生きるかも学べる。

2013.03.04 03:24|人生
Tuesdays With Morrie Poster

いかに死ぬべきかを学べば、いかに生きるかも学べる。
byミッチ・アルボム 「モリー先生との火曜日」より


“The truth is, once you learn how to die, you learn how to live.”
by Mitch Albom, Tuesdays With Morrie

映画、「モリー先生との火曜日」は難病ALS(筋肉の萎縮と筋力低下をきたす極めて進行の早い神経性疾患。半数が発病から3〜5年で呼吸筋麻痺により死亡する難病)に侵されたモリー•シュワルツ教授が、病気と戦いながら、「いかに人生を生き、いかに死ぬべきか」の最後のレクチャーをかつての教え子ミッチェルに与えた記録、ノンフィクションストーリーです。

ふと手に取るもの、聞くもの、新しく出会う人、再会する人、全てがまるでタイミングを合わせたように、「今の自分に必要なものだ」とまるで誰かに抜群のタイミングで与えられた。と、そう感じることがありませんか?
今日私がふと手にとった映画、それは「モリー先生との火曜日」という映画でした。
先日のブログで「ローズという87歳の女学生」が大学を卒業したという物語について書きました。
『何事も学ぶ事に遅い時期はなく、チャレンジを諦めない限り人は老いることはないのだ、成長しつづけるのだ。』ということをローズの人生を疑似体験することにより私たちも学び、勇気づけられましたっけね。
「エルダー(年を重ねた方)から学ぶべし」、という言葉があるように人生で喜びも苦しみも経験した彼らのハートには知恵と経験と感情の皺がたくさん刻まれていて、それは若者の繊細で壊れやすいハートとはまた違う質感もので、柔らかく弾力にとんでいるのではないかと感じることがあります。

「モリー先生との火曜日」では死を間近にむかえた主人公のモリー教授の心に沁みる愛情溢れた言葉人生のヒントが沢山詰まっています。そして、その言葉の一つ一つにが心に染み渡ることで私たちは人生というものを改めてしっかりと考えさせられる、そして自分の人生に照らし合わせてうんうんとうなずけるのです。
詳しい内容は種明かしになってしまうので控えますが、私の心に残った言葉、気になることなどをいくつかピックアップしてご紹介しますね。

モリー教授がウィスタン・ヒュー・オーデンという詩人(20世紀、第2次世界大戦時期に活躍詩人)の言葉を引用して愛について語るシーンがあるのですが、非常に印象的なシーンでした。
そして私も思わずリピートしつぶやいてしまった言葉でもありました。

We must love one another or die
「愛しあわなければ、 わたしたちは死ぬしかない。」


第2次世界大戦の悲惨な経験を体験したことから詩人オーデンは地球と人類の未来に大きな危機感を抱き、その中で人々が愛をもって繋がらなければ何もかも滅びてしまうのだ、という気持ちからこの言葉はうまれたのと私は思うのですが、後々にオーデンはこの言葉を自ら削除してしまっているんです。「結局我々は全て死ぬのだから」という理由から。

でも、私は削除したのは「愛の押しつけ」をあえてするべきではなかったというオーデンの思いやり、配慮の気持ちからなのではないかと思うのです。
本当にオーデンが言いたかったのはきっとこうゆう意味ではないのかと。
『何をしていようが時間の流れはとどまることなく一刻一刻が刻まれる。我々は皆な死というゴールに向かって進んでいく。結局は死んでしまうのならば、産まれてきて存在し、相互に関わりこうやって生きているのだから、命あるかぎりは愛し合わなければいけないのだ。愛があるから生きていけるのだから。』

モリー教授は自らの死の恐怖と痛みを体験することで、結局は愛が一番大切な物、つまり「愛し合わなければ生きていけない」という言葉に託し教え子に伝えたのだと思うのです。

『人は一人では生きていけない。依存しあって生きている。生まれたての赤ん坊も依存しなくては生きていけないし、死ぬ時も依存する。そして私も今こうやって身体が徐々に動かなくなり、周りのみんなに助けてもらって生きている。人々は依存することは恥ずかしいこと、というけれど、私はそうは思わない。なぜなら我々はみな何かの形で助け合う、つまり依存しあいながら存在しているのだから。それが人生というものじゃないか?』

アメリカではindependent(自立)していることが良しとされ、dependent(依存)していることは逆にネガティブとされる風潮があるように思うのです。これは私のアメリカ在住17年間で感じていたことです。泣くこと、涙をみせること、に対して「Don’t Cry. あなたは自立した女性でしょ」と幾度といわれ、その度になんとなく不自然な違和感を覚えた記憶がありました。子供にたいしても泣いていると「Don’t Cry.強くなくっちゃダメでしょ」というお父さん、お母さんが多かった。
泣いたっていいんじゃないか。涙をみせたり、辛い時に辛いと言ってもいいのではないか。そして助けが必要な時にはすがっていいのではないか。と私は思います。なぜなら泣くことは私たちがもっている感情の一つであり、とても自然なことであると感じるから。自然体でいることはとても心地よいことですし、涙で傷が洗い流され癒されることもあると思うのです。泣いた後はすっきりした経験を誰もがもっているはずですし、子供のころは大きな声をだして泣いて、そしてギュッとハグされると安心したもの。

教授は『大人になると人に触れられるのを拒んだり、涙を魅せるのを恥ずかしがったりする人がいるけれど、人に触れられるのは心地よいものじゃないか。不安な気持ちも吹き飛ぶし、人が触れ合う事で安心することもある。赤ん坊のころ親の腕に抱かれあやされたこと、今思うとなんと幸せで心地よい感覚だっただろうと思うんだ。。。』
大人になると人々は壁をつくり、相手からこう思われるから怖い、傷つくのがこわいから、と自分の周りにバリアをはり本当の部分の自分というものを隠してしまう傾向があると思うのです。そしてそれは欧米と比較して日本ではさらに傾向が強くなるとも感じています。
愛しているという感情は照れくさいもの、辛いという言葉をいうのは恥ずかしいもの。日本古来の美徳という言葉で表現すると聞こえは美しく聞こえますが、もう少しだけ心の扉を開いてみるともっと楽になれるのではと思うのです。もっと人と人との距離感、家族の間、恋人同士の間、夫婦間の距離が近くなると思うのです。

『助け合って生きる事、愛し合って生きる事、辛い時には、悲しみにひたって思いっきり泣くことも必要。そしたまた朝日が登ったら、今日起きる新しい出来事、今日おこるであろう楽しいことに気持ちを集中することが必要である。』

人生が終わりに近づくことはまぎれも無く誰もにとっても怖いことであります。私もそうなのですが、怖くないという事は死というものを間近に感じた事がないからなのではと思うのです。モリー先生は死の恐怖と戦い、死の床で命の炎が消えるという本物の恐怖を体験することで、こんなことを学びます。

「悲しみが怖い。痛みが怖い。愛するものが傷つく事が怖い。怖い怖いといっていたらいつも怖がってばかりいることになってしまう。
でも、恐怖の感情にどっぷりと自分自身が浸かることで、恐怖を深く、そしてくまなく経験することができるんだ。
そうすることで、痛みとは恐怖とはどのようなものなのか、ということが理解できる。そして愛とはどのようなものか、ということも解る。そして悲しみとはどうゆうものなのか、ということも解る。
そう、その時に初めて理解できてこう言えるようになるんだよ。
「よし、私はこの経験から学んだぞ。痛みや恐怖や愛情がどんな感情だかってことを。」一度わかったら、今度はしばらくこの感情から離れてみることも必要だ」


こうやって、死が近づいても恐怖を真っ向から否定せず、死を確実に認めながら、まだ残っている自分の時間を精一杯意味のあるものとして生きているモリー先生の生き方に多くの人が共感を覚えると私は思うのです。

「人生とは格闘であるが、勝者は常に愛である。愛はいつも必ず勝つ!」
「人生は限りあるものだから、自分を許すことが必要であり、そして他人も許さなければいけない。」


親もパートナーも、同僚も、過去に存在した人も、自分が今まで許せなかった人のこと、嫌いだった人のことも一旦リリースして、許してみると不思議にすっきりするはずです。許すことが一番難しいことだと言われていますが、意外とふとしたきっかけで簡単にできるのだと思うのです。そして、一度許せると自分の心の中にあったシミのようなものがすぅ〜っと消えて行き、キラキラした水蒸気になってしまうような感覚になることでしょう。私たちが心の成長を身をもって経験することが、人を許せた時ではないか、と私は思うのです。
私も親との間に未だに残る確執があります。なかなか奥深く、考えるととても辛く涙がでてきます。でも、親も所詮は愛すべき人間だからと考えられるようになったのもここ数年のことなのです。

感情に任せて相手が口にした醜い言葉。誰もが経験あることかとは思うのですが、怒りの時にでた言葉は真実性のある心の言葉だとは思っていません。だから許せるのです。穏やかな感情の時、美しい気持ちのときには決して攻撃的な言葉はでないことを解っているからです。
だから、口論の時に相手が言った言葉は許してあげてください。その時にはお互いをせめず、そして穏やかな状況に戻ったらゆっくりとした口調で目をみて素直に話し合うことによって再び理解しあえると私は思います。

最後に、私が感動したモリー先生の言葉を英語と日本語訳でご紹介します。
tuesdays-with-morrie.jpg


多くの人々は人生に意味を見いだせずに歩き回っている。
自分では大切なことだと思い込み忙しく働いているのだろうが、彼らはまるで半分寝ているみたいだ。
なぜそうなってしまうのか?それは彼らが志ある目的のためではなく間違ったものを追いかけているからそうなってしまうんだ。
意味のある生き方とは?
それは人を愛すること。
自分を取り巻く地域、コミュニティー、社会のために貢献すること。
生きるための目的と意味を見いだすこと。
byミッチ・アルボム 「モリー先生との火曜日」より


“So many people walk around with a meaningless life.
They seem half-asleep, even when they're busy doing things they think are important. This is because they're chasing the wrong things. The way you get meaning into your life is to devote yourself to loving others, devote yourself to your community around you, and devote yourself to creating something that gives you purpose and meaning.”
By Mitch Albom Tuesdays with Morrie
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プロフィール

Appolonia

Author:Appolonia
自らのアトピー体質がきっかけで化学物質と無縁の生活と自然治癒の生き方を志す。
アメリカに17年滞在後2011年、日本へ帰国。
オーガニックの先駆者が集まるサンフランシスコで暮らし、
そして、よりロハス的な生き方を求め、オレゴン州ポートランドに移住。
アメリカの真のロハス文化を日本に伝え、日本の伝統的な文化をアメリカに紹介するプロジェクトを計画し日々奮闘中。
2児の母親。最近のマイブームは休日のオーガニック&ベジタリアンレストラン巡り。

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